「チベット政治史」(亜細亜大学アジア研究所)より抜粋
1942年末、アメリカ合衆国軍人2名は、アメリカ人としては初めてチベットの首都ラサを公式訪問した。彼らは、合衆国政府軍事戦略局より、チベットから中国に至る物資輸送ルートを樹立するという任務を与えられていた。こうして、彼らはダライ・ラマ法王に拝謁し、ルーズベルト大統領からの親書と写真、その他の贈上品を献じた。当時、ダライ・ラマ法王は弱冠7歳であった。
フランクリン・D・ルーズベルト大統領からダライ・ラマ法王への親書【1942年7月3日付】
法王猊下 我が同国人イリヤ・トルストイ及びブルック・ドランは法王猊下に拝謁し、世に名高い古い都ラサを訪問することを希望しております。 アメリカ合衆国においては多勢の人々が—私もそのひとりですが、貴国及び貴国の住民に興味を抱いており、こうした機会を高く評価することでしょう。 法王猊下もご承知のように、アメリカ合衆国民は現在27の諸国の人民と連合して、征服欲にとり憑かれ、思想、宗教、行動の自由を破壊しようと意図す国々によってしかけられた戦争に抗しております。アメリカ合衆国は、自由の防衛と自由の維持のために戦っており、勝利は疑いのないものと信じております。なぜなら理は我々にあり、我々は充分な力を有しており、その決意は不動だからです。 法王猊下への私の親愛の気持ちのしるしとして、イリヤ・トルストイとブルック・ドランにささやかなる献上品を託します。 心からの挨拶を申し添えて 敬具 フランクリン・D・ルーズベルト |
ダライ・ラマ法王よりフランクリン・D・ルーズベルト大統領宛の返書【1943年2月24日付】
大統領閣下 閣下の親書及び友好の印である贈物(閣下自筆のサイン入りの御写真及び月齢と曜日の出る極めて精巧な金時計)を無事に当地ラサに到着したイリヤ・トルストイ大尉とブルック・ドラン少尉の手より拝受できたことは欣快にたえません。 閣下とアメリカ合衆国の国民が我が国に大いに興味を抱かれていることを知って嬉しく思います。また、アメリカ合衆国国民が27の諸国と連合して、征服欲にとり憑かれ、思想、宗教、行動の自由を破壊しようと意図する国々によって仕掛けられた戦争に抗しているということは大層重要なことです。 チベットもまたその歴史始まって以来、自由と独立を享受し、これらに重きを置いてきました。私自身少年ながらも前代のダライ・ラマの方針通り、この仏法の地チベットにおいて仏陀の説かれた法を広め、末永く保持するべく努めております。この戦いが速やかに終結し、世界の国々が自由と親善の原則に基づく、正義の平和を恒久に享受できるよう強く祈願するものです。 私の友好のしるしとして、ここに儀式用スカーフとチベットの金貨3枚、私の写真、そして青色の錦で表装した刺繍のタンカ3幅を献上致します。これらのタンカはそれぞれ「六福禄寿」「忠実な4人兄弟」「八吉祥図」を描いたものです。 敬具 |