2003年3月31日
3月31日、米国務省は「世界の人権状況」2002年次報告を発表し、チベット自治区における過剰な弾圧、及びチベット自治区内の各地で発生している人権侵害の事例について言及した。
パウエル国務長官は、この報告書を発表する中で、中国における 「今までの損失」 に対する 「憂慮」を表明し、同国の人権問題の扱いに関する厳しい批判について言及した。しかし、パウエル長官は、4 月 25 日までジュネーブで開催される国連人権委員会において、中国を非難する決議を求める件については明言を避け、「この件は決定されていない」とだけ述べた。
報告書は、中国当局が、ダライ・ラマの特使の訪中と、報道陣や外国高官によるチベット地域における立ち入り区域の拡大をにらんで、7人のチベット人政治犯の早期釈放を実現したこと(2ヵ月間から 12年間の減刑)を評価している。
2002年次報告に記載されている状況は、以下のとおりである。
- チベット人の信仰の自由に対する弾圧の程度は、深刻なままであった。
- 罪状を認めようとしない政治犯たちは、拷問やその他の肉体的虐待の被害を受けていた。
- 法的予防措置の内容、その適用方法とも不適切である。裁判官の大半はチベット人であるが、司法に関する教育はほとんど、あるいは、まったく受けていなかった。
- 政治的権限の多くが与えられ、主要な決定を下すのは中国人であった。
- 移動は制限され、パスポートの取得は、ますます困難になった。また、ネパールからチベットへ戻るチベット人、特に僧侶は、専断的な拘留に直面していた。
- ダライ・ラマの写真を公に飾ることは、相変わらず禁止されていた。
- 僧、尼僧に対する愛国的な教育活動は定期的に実施され、多くの僧院、尼僧院は徹底的に破壊された。
- ダライ・ラマの生誕祭は、規則により禁止された。
- 政府は、僧院施設が現地の資源を無駄に消費し、チベット亡命社会から侵入してくる政治犯の巣窟として機能していると主張し、管理の手を緩めようとしていなかった。
- 高まる緊張の中、ラマ僧の生まれ変わりを探し出し教育を受けさせる活動を取り締まろうとする当局の規制は強化された。
- 第 11 世パンチェン・ラマの無事を確認し、近況を確認するため、繰り返し求められる面会が却下され、彼の肖像画を飾ることも禁止された。
- 政府主導の開発事業、および経済機会の予想により、チベット人以外の人口が急激に増加した。
- チベット人に対する職業的な不平等が報告された。また、各地における労働権利も否定された。
- UNESCOが保護するラサの繁華街の地域が破壊された。
- チベット人の子供たちの栄養不良が蔓延している。
- チベット人教員に現地の教育システムを教えるために設立されたチベット大学における、中国人学生、および教員の総数は、人口比をはるかに上回っていた。
- 売春は、拡大しつつある問題で、HIVS/AIDS の発生率は比較的高いと考えられている。
- インドで教育を受けたチベット人の雇用者は、観光産業においては特に、このような従業員を解雇するよう圧力を受けていた。
- ラジオ・フリー・アジアは、チベット人が外国語放送を聴視した場合、罰金の対象になると脅かされていることを報じた。
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さらにこう結ばれている。
「社会、政治の抑圧的な管理は、チベット民族の基本的自由を制限し続け、チベット独自の文化、信仰、言語の遺産が損なわれるという危機的状況を生み出してきた」