2025年4月8日
プレスリリース
チベット中央政権、ベトナムで中国に拘束されていた著名なチベット仏教指導者トゥルク・フンカル・ドルジェ師の死を非難
ダラムサラ — 中央チベット政権は、著名なチベット仏教指導者であるトゥルク・フンカル・ドルジェ師が、中国当局によってベトナムで拘束されていた際に突如として不可解な形で亡くなられたことを、深い悲しみとともに確認いたします。
フンカル・リンポチェは、2024年9月下旬より中国当局からの嫌がらせを受け、チベットを離れベトナムに身を潜めていましが、2025年3月25日、ベトナム・サイゴンのホテルから、現地警察と中国の秘密工作員による共同作戦のもと逮捕されました。3月28日には現地の公安当局に引き渡されましたが、その日のうちに謎の死を遂げました。この事件は、国境を越えた治安協力、国境を越えた弾圧、人権侵害といった問題に重大な懸念を投げかけるものであり、ベトナムと中国の両当局による即時かつ徹底的な調査と説明責任が強く求められています。
4月1日、チベットにあるフンカル・リンポチェの出身であるルンノン僧院の事務局は、関係者を召集し、死亡証明書を提示させましたが、書類の保管や写真撮影を固く禁じられました。4月5日には、同僧院の僧侶5名が中国政府関係者らと共にベトナムへ渡り、遺体の引き取りを試みました。同日、ベトナムの中国大使館にて会議が行われ、中国当局の関係者が出席しましたが、チベット側の僧侶5名は会議への出席を許されませんでした。僧侶たちが遺体を実際に確認したか、または僧院へ搬送できたかについては、依然として不明です。現在、遺体はホーチミン市のヴィンメック・セントラルパーク国際病院にあると報じられています。
1969年にアムド地方で生まれたトゥルク・フンカル・ドルジェ師は、チベット精神文化の保存と継承に尽力し続けた偉大な宗教指導者でした。ド・キェンツェ・イェシェ・ドルジェ師の転生者として認定され、1,000人以上の生徒が通う授業料無料のフンカル・ドルジェ職業技術高校を設立し、医療支援が届きにくい地域のために「フンカル慈悲医療クリニック」を創設、さらにチベットの貴重な文献を守る「優秀講義鍵文庫」を開設しました。
高齢者や貧困者、病人への食糧・衣服・医薬品の支援など、慈善活動も多岐にわたり、また20冊以上の著作を通じて、チベット語・仏教・文化の重要性を国内外で教え続けました。環境保護、社会福祉、倫理教育にも貢献したリンポチェの活動は、チベット精神文化の枠を超え、現代におけるチベット人の総合的アイデンティティの保存と繁栄を目指す包括的な取り組みでした。しかし、これらの取り組みが中国当局からの政治的弾圧の対象となり、今回の悲劇的な死に至った背景と見なされています。
昨年、中国政府はフンカル・リンポチェに対し、中国が任命したパンチェン・ラマ、ギャルツェン・ノルブを自身の僧院で迎えるよう強要しましたが、心底これに従うことを拒否しました。2024年8月には青海省の高官による長時間の取り調べを受け、リンポチェがダライ・ラマ法王のために長寿祈願を詠唱したこと、アムド・ゴロク地方で中国の教育方針を実行しなかったことを理由に指紋の提出を強要されました。これらの出来事がきっかけとなり、リンポチェは2024年9月下旬に姿を消し、その後ベトナムでの潜伏生活に入ったと見られています。
トゥルク・フンカル・ドルジェ師の不可解な死は、チベット文化・言語・アイデンティティを守ろうとする影響力ある人物に対する中国の組織的な弾圧が、国境を越えて拡大していることを示す深刻な事態です。本件は、チベットで、いかに人々が「チベット人らしくある」というだけで逮捕される恐怖の中で生きているかを、改めて浮き彫りにしています。
中央チベット政権は、国際社会に対し、トゥルク・フンカル・リンポチェの突然かつ不可解な死を厳しく非難し、リンポチェの拘束と死の経緯について、中国およびベトナムの当局による透明性ある説明を強く要求します。特に、トゥルク・フンカル・ドルジェ師のご遺体が速やかにルンノン僧院に返還され、チベットの伝統に則った適切な葬儀が執り行われるべきであることを強く求めます。
この事件は、チベット人の基本的人権と自由を守るために、国際社会が中国政府に対し説明責任を求め続ける必要性を痛切に示しています。亡きフンカル・リンポチェのご家族、ご友人、門弟の皆様に心より哀悼の意を表すとともに、私たちは彼らと連帯し続けます。
中央チベット政権
インド・ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
(翻訳:かおり)