カーラチャクラはタントラ(密教)

カーラチャクラは、チベット密教の最奥義である無上ヨーガ(瑜伽)・タントラの代表的な聖典である。聖典によると、カーラチャクラは、シャンバラ国のダワ・サンポ王が受けた教えとされ、シャンバラ国はカーラチャクラの教えの行き渡った特別な国になったとされる。
カーラチャクラは、「時輪」と訳され、「カーラ」とは時間を意味し、「チャクラ」は存在を意味する。あらゆる時間は存在の中にあり、あらゆる存在は時間の中にある。本来、生きるものは全て仏性を有し誰でも仏となる可能性を持っている。極めて高度な内容にも関わらず、世界平和への祈りが込められているため、この教えの門は広く一般の人々に開かれている。
三身 ―カーラチャクラの基になるもの―
カーラチャクラでは、「空身(トンスク)」、つまり空のからだと言うものが説かれており、無上の不動の大楽、無上の不動の信仰、無上の不動の智慧を得ることを目的とし、「光明(ウーセル)」についての内容が最も強調されている。
死ぬ時に顕れる光明を「法身」と言う。人が死んで、新たな生を受ける時、「中有(パルト)」という「報身」があり、最高で49日後に、誕生の「化身」を持つ。カーラチャクラの教えは、これらの法身(死の光明)、報身(パルト)、化身(生、誕生)の三身を基にしている。
ルン ―カーラチャクラの鍵―
カーラチャクラでは、ルン*と呼ばれる「風」が、ウマと呼ばれる「中央脈官」に入る最初の過程から、カーラチャクラ・タントラの「究境次第」とする。他の無上・ヨーガタントラでは、「風」を「中央脈官」に集めてそれから究境次第の悟りを得るとする。
*ルン 光明としての心の乗り物となる微細なる風。生体エネルギーのようなもの。このルンにより、無上ヨーガ・タントラなど特別なヨーガが可能となる。
カーラチャクラも「空」の観点から観る
― ダライ・ラマ法王のカーラチャクラについての説明 ―
「カーラチャクラというと、本当に実体を持ったもの、それ自体の側から現実に固有の存在としてあるもののように思うかもしれません。カーラチャクラという実体のある本尊とか、その広まったシャンバラ国もそういう実体のあるものだと・・・。しかし、そのように考えてしまっては、般若心経を学んだ意味が無くなってしまいます。般若心経では、形も無く、音も無く、味も無く、五蘊もなく、生死もない、と言っています。・・・タントラを修行する場合、般若心経に説かれている無我を理解する智慧、これがなければ、タントラの修行は成就できません。 チベット仏教では、タントラのみならず、どのような経典でも、完璧な修行の道、つまり小乗、大乗、タントラの全てを含めて考えることを大切にし、それは優れた点と言えるでしょう。カーラチャクラの場合にも、般若心経で無我を理解する智慧のことを学ぶ一方で、カーラチャクラのことを本当に実体性のある仏だなどと考えていたのでは、般若心経の教えと食い違ってきてしまうのです。ですから、カーラチャクラのことも、「空」の観点から観るべきなのです」 |
ダライ・ラマ法王が行ったカーラチャクラ灌頂の回数・場所・参加人数
番号 | 年月 | 場所 | 人数(人) |
1 | 1954年5月 | ノルブリンカ(チベット) | 100,000 |
2 | 1956年4月 | ノルブリンカ(チベット) | 100,000 |
3 | 1970年3月 | ダラムサラ(インド) | 30,000 |
4 | 1971年1月 | バイラクッピ(インド) | 10,000 |
5 | 1974年12月 | ブッダガヤ(インド) | 100,000 |
6 | 1976年9月 | ラダック(インド) | 40,000 |
7 | 1981年7月 | マディソン(アメリカ) | 1,500 |
8 | 1983年4月 | ディラング(インド) | 5,000 |
9 | 1983年8月 | タボ・スピティ(インド) | 10,000 |
10 | 1985年7月 | リコン(スイス) | 6,000 |
11 | 1985年12月 | ブッダガヤ(インド) | 200,000 |
12 | 1988年7月 | ザンスカル(インド) | 10,000 |
13 | 1989年7月 | ロサンゼルス(アメリカ) | 33,000 |
14 | 1990年12月 | サルナート(インド) | 130,000 |
15 | 1991年10月 | ニューヨーク(アメリカ) | 3,000 |
16 | 1992年8月 | カルパ・キヌール(インド) | 20,000 |
17 | 1993年4月 | ガントク・シッキム(インド) | 100,000 |
18 | 1994年7月 | ジスパ・キロン(インド) | 30,000 |
19 | 1994年12月 | バルセロナ(スペイン) | 3,000 |
20 | 1995年1月 | ムンゴット(インド) | 50,000 |
21 | 1995年8月 | ウランバートル(モンゴル) | 30,000 |
22 | 1996年6月 | タボ・スピティ(インド) | 20,000 |
23 | 1996年9月 | シドニー(オーストラリア) | 3,000 |
24 | 1996年12月 | サルガラ(インド) | 200,000 |
25 | 1999年8月 | ブルーミントン(アメリカ) | 4,000 |
26 | 2000年8月 | キ・スピティ(インド) | 25,000 |
27 | 2002年10月 | グラーツ(オーストリア) | 10,000 |
28 | 2002年10月 | ブッダガヤ(インド) | 200,000 |
29 | 2004年4月 | トロント(カナダ) | 8,000 |
30 | 2006年1月 | アマルワティ(インド) | 100,000 |
31 | 2011年7月 | ワシントン(アメリカ) | 8,000 |
32 | 2012年1月 | ブッダガヤ(インド) | 200,000 |
33 | 2014年7月 | ラダック(インド)(参加者73国から) | 200,000 |