ベルファスト(AP通信)
ダライ・ラマは、10月19日に多くのカトリック教徒とプロテスタント教徒とを分かつ高い鋼鉄の壁—これまで調停者が現われることを拒否し続けてきた「恐怖」と「憎しみ」のモニュメント—を訪問した。
近年ベルファストを訪問する有名人は皆、いわゆる「ピースライン」と呼ばれるダウンタウンの西に位置するカトリック側地区とプロテスタント側地区を過去30年の間分断してきた長さ1マイルの壁を訪れているが、ダライ・ラマほど熱い騒ぎを引き起こした訪問者はいないようだ。ダライ・ラマは、壁の門をくぐり、集まった見学者たちと握手した。その壁のカトリック側で歓迎していた子どもたちのグループの中には、自分のクラスはベルファスト動物園で生まれた新しいラマの赤ちゃんを見学に行くのだと考えていた女の子もいた。
ダライ・ラマは質問した。 「こちら側はカトリックで、あちら側はプロテスタントなのですか」
仏教徒のダライ・ラマは、キリスト教徒らとともに両手を固く握り締めた祈りを捧げた。カトリックとプロテスタント両方の大臣や議員らは、ダライ・ラマの異宗教に対する寛容の精神を高く評価した。
「もしダライ・ラマのそうした精神がここのすべての人々に完全に受け容れられるなら、壁はなくなるだろう」と「ピースライン」に関するカトリック・プロテスタント共同和解作業に関わってきたゲイリー・レイノルズ牧師は語った。
「わたしは、ダライ・ラマに会った人々全てが、彼の静かな強さ、寛大さ、そして平和と正義を追求する深い献身に感銘し、奮い立つようになると確信している」とIRAの政治団体シンフェイン党のゲリー・アダムズ党首は語った。
アダムズ党首とダライ・ラマは、クロナード修道院内でともに祈り、そして20分間会談し、 贈り物を交換した。 アダムズには長い白いシルクのスカーフ(カタ)が、ダライ・ラマにはケルト十字が贈られた。
ダライ・ラマは、30年もの間宗派意識の強い人々からの暴力で崩壊したカトリック教徒の家々の間を歩いて通り抜けた。 そして、西ベルファストを分断している大通りのカトリック側とプロテスタント側にそれぞれ1本ずつ植樹した。
ダライ・ラマは、カトリック、プロテスタント双方が入り混じる群衆に向かって言った。 「もちろん、いくらかの衝突、いくらかの違いは常に存在するでしょう」
「しかし、わたしたちは、その違いをポジティヴな形で利用し、異なった見方からエネルギーを得ようとするべきなのです」
カトリック側ではアイルランドの国旗が、プロテスタント側では英国の国旗がそれぞれ掲げられており、地域の分裂を表していた。日が暮れると大通りのどちらの側の出入口も再び閉じられた。
ベルファストのこの地域の緊張は増大しつつあるにもかかわらず、北アイルランドでは1998年に平和協定が結ばれ、カトリックとプロテスタント共同の地方政府を創設した。
10月18日には、西ベルファストのカトリック側で、和平の進行に反対するIRA分派の覆面を被ったメンバーらが、殺された同志の棺越しに発砲する事件が起きた。その過激派たちはIRA主流派を非難し報復をほのめかした。
またプロテスタント側では、8月以来、英国軍が通りの角々に配備されていたが、二つの無法グループが犯罪的な騒動を競い合うことによって敵意が再燃、互いに発砲を始めた。その衝突により3名の命が奪われ、150世帯が家を無くした。
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